阪神淡路大震災のあの日

2021年01月17日 20:45

こんばんは🎵

日曜日、おやすみ前のひととき
いかがお過ごしでしょうか?
明日からまた新しい一週間がはじまるし
早めに休んでいる方も多いかも
しれませんね。


相変わらずコロナ感染拡大が増加し
なかなか終息が見えない毎日が
続きますよね!
実は私の住んでいる戸田市も、大宮や所沢
また川口と並んで急増している地域
だそうで内心とても心配です。

近所の人たちの話しでも、いつ感染しても
また濃厚接触者になっても不思議ではないし
本当にしっかりと自分の身は自分で守る!と
いう意気込みで頑張ろうね❗と、
それが今の挨拶がわりになりました。

心配なのは近くにある公園。
お昼過ぎると学校から帰ってきた子供たちが
いっぱいなんですね。
本来なら元気に外で遊ぶ風景は、
すごく喜ばしいことなのに、今は
こんなに混んで大丈夫?と心配になるほど
です。
昨年の春頃のように全くのStayhomeは
難しいのでしょうね……








さて、今日は阪神淡路大震災から26年!
私も忘れられない思い出があります。

その当時私は日本語学校の職員として
国際交流の定例会議があるため、ある大学の
国際交流室におりました。
全国組織で活発に活動していたため、その日も
神戸や大阪からくるメンバーの皆さんが
集まるのを待っていました。

その直後、大学内にニュースが流れまた
同時に電話が入り、関西で大きな地震が
あったらしい…と一報が入りました。
まだまだ携帯電話もなく、もちろん
インターネットさえない頃、電話で聞く
情報しか入ってこないので状況が全く
わかりませんでした。

とにかく大変な状況になっているらしい!
ということで今日は中止にし、とりあえず
私も自分の学校に戻りました。
戻ってみたテレビには信じられない光景が
……
一刻一刻と時間が過ぎる度にどんどんて
被害地域は拡がり、また深刻な状況になり
私たち職員もただじっと画面を
見いるばかり、誰も声がだせませんでした。

その日はもう何も手につかない状況でしたが
急遽学生たち全員を一階のホールに集め
状況を説明し、帰宅後の注意事項などを
話し対応したことを覚えています。

学生の親ごさんたちからもよく国際電話が
入りましたね。
海外から見ると、日本は小さな国なので
地図で見ると関西と言っても、すぐ近くに
思う人も多かったんですよね。
だから大丈夫か?ととても心配だったんだと
思います。 

そしてその年、あの地下鉄サリン事件もあり
春休みに一時帰国した学生たちは、
なかなか日本には帰って来ませんでした。
また新規入学もキャンセルが相次ぎ
学生たちはアメリカや他の国へ留学先を変え
日本語学校は本当に窮地に立たされた、
そんな辛い思いのする年でしたね……。

この95年頃ですね、ようやく
インターネットが一般化し、ウィンドウズが
発売されたのは。
私なんて全然、もう未知の世界で
ちんぷんかんぷん。
早くも国際交流会議ではインターネット、
またE-mailを取り上げ説明会も度々開催
してましたが、私はまだその頃は
Fax様々で紙資料が一番安心する感じでしたね!


私がこの日本語学校のホールの一角で
ラッピング教室をスタートさせたのは
この年の9月。
あれから26年経ったんですね~

まさかこんなに長く続く、続けられるとは
その頃思ってなかったし、
人生は本当に不思議なものです。

失ったものもたくさんあるけど、
でも、出会ったもの体験してきたものも
それ以上にたくさんありました


出会った皆さん
本当にありがとう!…
今はなかなか会えないけど
コロナがおさまったらきっとまた
会いましょう!


今日久しぶりに連絡をくださったMさん
ありがとう!
先日ラインで連絡をくださったAさん
ありがとう!
職場のコロナ禍の影響で一時期休講するMさん
くれぐれも気をつけて!



皆さん、どうぞ身体に気をつけてね❗
また
明日から元気にスタートしましょう
おやすみなさい!







      ※スマホ版絵画制作作品より

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