011 ラッピング教室との出会い

2020年03月21日 00:01
カテゴリ: ラッピング

あれから25年
そう 忘れもしない地下鉄サリン事件

何とも凄惨で現実に起きたものとは信じられない
未だににドラマであったかのような
事件でしたね
その前の1月には阪神淡路大震災
平成7年は私にとっても人生の転換期でした。

この当時、私は日本語教育現場で働いていて
この日の事件をきっかけに、外国人留学生が
半月も経たないうちにほとんどが帰国し
授業が成り立たない日が続きました。

地図でみたら日本の国は小さい!
母国の家族からみたら関西も東京も同じような
場所…という認識らしい
だから
危ないし心配だから
1日もはやく帰国させて!
と国際電話がずっと鳴り続けていました。

無理もないですよね!
まだNETなんて始まったばかりで普及してない

サリン…なんて聞いたこともないし
オウム真理教のことが毎日テレビで報道されて
いたけど、その状況だってよくわからない。
毎日が騒然としていて得体の知れない恐怖感
だけは鮮明に記憶に残っている…

私の記憶では、この当時全国に500校以上あった
日本語教育機関が瞬く間に減少し、
たしか半分以下になってしまう危機的な状況
だったと思います!

すでに卒業式も終えて、4月には新入生を
迎える準備をしていた時期。
でもほとんどが見合わせとかキャンセル。
少し落ち着いてから行きます、とか、
留学先を他の国に変更します、とか…
予想もしない辛い悲しい出来事でしたね…

人生はほんとうにいろいろ…

みんなで落ち込んでばかりもいられない!
職員みんなで知恵を出しあって考えたのが
カルチャーセンター。
職員みんなそれぞれの特技?を生かし、新たに
講座を作りました
英語教室、ワープロ(その当時は全盛)、
進学対策等々、そしてなんとラッピング。

考えてみたら私、その当時すでにラッピングの
資格は2年前に取得し、ほとんど使わないまま
ずっと忘れていたんですね。
これをきっかけに思いだし、改めて勉強し
直したけど、まさか…
その後25年も続けることになろうとは…

まだまだこの頃はラッピング教室は少なくて、
ケイコとマナブとかマイレッスン(懐かしい!)
の担当者の方に一生懸命アドバイスして
いただき、内容を決めた(笑)経緯があります。

こうしてにわかにやることになったので
本音を言えば全然わからない!
どうやって教室を続けるか?とか
カリキュラムはどうするか?とか
だから ほんとうに助かりました!

今、振り返れば
頑張って日本語教育を続けていたら
どうなっていたんだろう?と、思うけど

ラッピングとの出会いで
人生がどんどん変わっていき、
しかも今までの経験が生かされて、
無駄なことなんて全然ない!
この時のために、あんなことがあっのか!と
そう思えるようなことがたくさんありました。

人生って不思議ですね!

あんなに辛い時期を経て、今はこうして
思いもしなかった道を歩いているなんて!

あれから25年!(あれ?どっかで聞いたセリフ!)
今度はまた世界的な規模での大変な状況に
なってしまいました

まだまだ先は見えないけど
でも
みんなで一緒に頑張って乗り越えたら
きっと、その向こうには新しい未来が待っている
きっと、新しい価値観が見えてくる…
そんな気がするんですよね~

そういえば、あの頃卒業していった
留学生のみんな!どうしているかな…?
  みんな無事で元気でいて欲しいなぁ✨

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